私が夫婦仲が悪化し、離婚の危機になった最初のころ気分はどん底でした。
なんで私が?私は「我慢して」こんなに頑張ってきたのに何でこんな目に合わなきゃいけないんだ。
そんな風に思っていました。
自分が何もしてくれない主人を引き寄せていた
何もしてもらわないことで主人は私によって「何もしてくれない人」になっていきました。主人の活躍の場をどんどん奪っていき「ひたすら趣味に没頭するようになり子どもの面倒もろくに見ない自分勝手な主人」を自分で引き寄せていました。だから気が付いたら自分の年末調整の書類すらかけない男になっていた。
別居してからはもちろんしてあげることはほとんどありません。
来るときは自分の飲み物をちゃんと買ってきますし食べたいものもちゃんと買ってきます。
外食に行っても多めにお金を出してくれるかおごってくれます。
あれこれ気を遣うことはなかったんです。
先日も急に泊まりに来たので「足りない材料を買ってきて(要するに自分の分)餃子を巻いて」と言ったらぜんぶやってくれました(とっても楽だった)。
そう。主人は何もしてくれない人ではないんです。
壊れたのは「もう頑張らなくていい」のサイン
今になって思うのは夫婦仲が壊れたのは「もう頑張らなくてよかったから」。
自分を押し殺し相手に尽くし、経済的にも精神的にも主人に依存していた私は「離婚したら生きていけない」と思い自分の意見も押し殺し、ケンカにならないように相手に合わせ、家事の手伝いを断られたことから「すべて一人で頑張って」しまい、うまくいかないことから常に無意識にイライラしていました。
お義母さんのように何でもやってあげなきゃ愛されないと勘違いしてさらに頑張り夫婦の危機を経験したことでひたすら頑張ることが無意識に身についてしまい自分らしさはなくなってしまったのでした。
夫婦関係が壊れたのは「頑張らなくていい」「主人への依存をやめて自分らしくいたらいい」というサイン。
別居になって私はだいぶ私らしさを取り戻したように思います。
今人生のどん底で悩んでいる人も同じことが言えると思います。
仕事や育児を頑張りすぎて心身を壊してしまったなら「もうそこで頑張る必要はない」というサイン。
死んでしまったら元も子もない。だから体がストップをかけてくれているんです。
働けなくてもいろいろな制度が助けてくれます。援助を受けることは恥ずかしいことではありません(生活保護をもらってニートになれって言ってるわけじゃないですよ)。
ピンチになるから自分の生き方変えようって思えるんです。人生を変えるチャンスなんです。
わたしはこのことがあったおかげでいろいろなことを知り、あまり働かない生き方を模索しようと思えたり、本当にやりたいことを探していこうと思うまでになりました。
自分の幸せは自分で築いていく覚悟ができたと思います。
おかげでいろいろな人と出会えたりして人生変わったな。と思います。
(まだすべてがうまくいったわけではないのに)
なので人生のピンチはチャンス。やりたいことをやっていきましょう。
そうしたらいつの間にか事態は好転しているはずです。
今日も読んでいただきありがとうございました。