11月24日は娘の誕生日でした。
早いもので9歳になりました。
必死に別居回避しようとしてた頃はそれまでに仲直りしないと誕生日の娘を悲しませてしまうという思い込みがありました。
別居=家族みんなで過ごすことはできない
そんな風に思い込んでいました。
今年も家族で誕生日
ですが今年もちゃんと家族で娘の誕生日をお祝いすることができたのです。
実際主人に出て行っていいと伝えたときにはこんな誕生日を迎えることができるとは思っていませんでした。
娘の希望は日帰り温泉に行って温泉とご飯を食べてくること。
前の日に主人が来てくれたのでわたしがご飯を作って前祝い。
お父さんにゲームも買ってもらって一緒にゲームをして楽しみました。
そして誕生日当日は日帰り温泉に行ってお昼ご飯も食べました。
すると今度はカラオケがしたい・・・と
夕方には主人は帰る予定だったのですが希望通りカラオケに行くことに。
カラオケしたらすっかり夕方。
晩御飯なにも用意してこなかった私に「あまり高いものはごちそうできないけど」と何と主人がご飯をご馳走してくれることに。
晩御飯は主人の要望で牛丼屋さんだったのですがこどもたちは一緒にご飯を食べることができたのでおおはしゃぎ。しかも急遽この日も泊まってくれることに。
女は愛されたい生き物
昔の私もそうでしたが女性って「おしゃれなレストランでディナーをおごってもらいたい」だとか「素敵なプレゼントを買ってくれること」が「愛されてる」と思いがち。
女は愛されたい生き物。その過程にロマンスやときめきを感じるものだから。
(ちなみに男は褒められたい生き物。結果がすべて。)
長いことそんな囚われがあったのですが「家族のために主人がご飯をご馳走してくれること」は値段に関係なく本当にうれしいものだったのです。
(あまりの嬉しさに容赦なく食べたいもの頼んだら高いもので突っ込まれたけど)
まして我が家は長らく私が家計の主導権を握っていたので「主人のお財布から晩御飯をごちそうしてもらう」なんてことはなかったので本当に奇跡のようなことだったのです(ちなみに温泉とお昼とカラオケはちゃんとワリカンで)
子どもが寝たあとや各所移動中車の中で本当にどうでもいい話をしたり、仕事のモヤモヤの話をしたりといつも通りの私たちで過ごすことができました。
週末家で過ごした主人は月曜日家から出勤していったのでした。
今こんな関係になれたのもここまでどんなに自分の考えを受け入れてもらえなくても、自分が怖がりながら、でも勇気を出して一歩一歩進んできたから。
一歩一歩は少しずつだけど私と主人は今は子育てのパートナーとして経済面でも、育児の面でもサポートしてもらってちゃんと歩んでいるんです。
子どもはお父さんに毎日会えないことにも慣れ、お父さんと連絡を取ることよりも自分たちのしたいことを好きなようにやっています。
別居は終わりじゃない
別居は終わりでも離婚に必ず向かうものでもないということ。
夫婦の中で我慢していてもいいことはなくてちゃんと本音をぶつけていけばいずれはちゃんとそれなりの調和がうまれてくるものです。
わたしもブログを始めたころは主人と話し合いをして間もないころで、やっと勇気を出して本音を伝え始めたのに何もうまくいかなくて、別居も離婚もいろんなものがなくなりそうで怖かったから必死にいろんなことに取り組んだ。我慢もしてきた。本音で話しても調和なんか生まれないじゃないって思いながらも必死になってきた。
夫婦再生はあきらめたくなくて離婚と別居(出ていく)から出て行ってもらう方を選択していろいろ苦しいこともあるけれど家族としてはそれなりになっています。
先日「夫と本当は離婚したいと思ってるんです。ただ子どものことを思うと・・・」と言ってる方がいました。私は「わたしも本当にすべてを失う覚悟だった。だけど今別居でこんなにいい関係を築けてる。だから本音で向かっていけばきっと大丈夫だよ」伝えることができました。ちょっと前まではそんなことまったく思えなかったのに。
我慢はやめて自分らしく入れたらそれで大丈夫。
長くなりましたが、今日もありがとうございました。